二人の関係とは?


子供の頃から家にこもりがちで、友達もいない
子供が楽しく行くはずの学校さえも興味がない
ひたすら家にこもりがちの少年が、
東京から遠く離れた徳島にいました。


彼の名前は米津玄師




漢字でこう書き「よねづけんし」とそう読みます。


その孤独な少年の唯一の楽しみはパソコン
小学校の高学年には、
すでにパソコンを操ることができたその少年は、

パソコンに夢中になり、それを使って絵を描き、
そして曲をつけることに没頭していきました。


そうやって一人孤独に生きてきた少年が大人になり、
ほんの数年のうちに
それまでのアーティストが、
誰一人掴むことができなかった記録を、
自らが次々と打ち破る ほど
めざましく成長その名を轟かせることになります。


それでも心の中には、まだ暗闇が大きく広がっている。
そんな時に、たまたま見たメディアから
自分とは全く違う個性を持ちつつも、その人の中に
自分と同じ感情を持つ青年を見つけます。


それが俳優の菅田将暉さんでした。


一見、なにが共通するのかさえ分からない程、
二人は別々に見えます。

ですが菅田将暉さんの中に、米津玄師さんは、
彼じゃなきゃだめなんだという
直感的なシンパシーを感じたといいます。


その、米津玄師さんにしかわからない、
むしろ強引にまで引き込まれてしまった菅田将暉さんにオファーし、
米津玄師さん「持ち込み企画のコラボ作品」
灰色大ヒットをもたらすこととなります。


どうして、米津玄師さんが一瞬にして菅田将暉さんの中に
自分に近い感情を汲み取ったのか、
そして二人のその後の関係を紹介します。


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米津玄師さんは、総合的な音楽家




米津玄師さんの生い立ちの中に、
一人でいること
本人にとって一番自然であった幼少期がありました。
あえて友達同士で戯れることを好まず
成長してくることがなかったとしたら、
今までに発表されている、
これからの日本の音楽の行方を左右するともいえる曲の数々
この世に誕生することすら
なかったかもしれません。


米津玄師さんが世間に
その名を知られるようになる出発点は
「ニコニコ動画」です。
このニコ動は、
一般人から、プロになるための足掛かりをつけようとする人まで、
あらゆるジャンルの人が集まる動画サイトです。
だからこそ自由に自分が表現したいと思ったことを
動画にして何でもアップしてかまわないし、
そのニコ動出身で、
いまでは表舞台で活躍を始めている
アーティストさんも少しずつ出現しています。


その中でも極めて突き抜けたのが
米津玄師さんでした。
彼は、もともとは、ハチという名を使い
自分の描いた絵をボーカロイドという手法を使って
曲と映像を合成し動画へアップしていました。


その時の作品の表記は、すべてハチ
その当時に上げた作品は100作品ともいわれ
今でもハチの絵と曲が好き、
という根強いファンが存在するほどの人気を誇っています。


その際、米津玄師さんは、
ボーカロイドという手段を使っていたために
自分自身の声での曲のアップはしていませんでした。
なので、、ハチという名前でのアップだとわからなければ、
あとは絵のタッチで判断するしかなく、
その時点でメジャーになりたかったわけでもありません。
なのでテレビなど表メディアに出ようとか、
そういった意識で作っていたわけでもありませんでした。


というのも孤独なまでに孤独に生きて来た彼にとって、
何かを言う友達がいるわけでもなく、
ただひたすら心の中で思ったこと感じたこと哀しいこと
そういった人間としての感情を
自分の内側からさらけ出す場所にすぎなかったからです。


こうして大人になるまでに大きく広がった精神世界の様子を
ニコ動という手段を使って表現しはじめたのが
米津玄師さんの始まりとも言えます。


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自分自身でも唄い始める




そんなひたすらボーカロイドを専ら使い、
自分の存在を隠すかのように製作を続けて来た米津玄師さんが、
次第にハチとして人気が出始めることで
自分自身が唄うことに挑戦していきます。
おそらくその時点が多くの人が、
米津玄師という存在を知ることとなるきっかけとなりました。


実は、米津玄師さんの声には、唄うことで明らかになった
低音から高音域の音まで のびやかに歌える声量
安定した音程がありました。



米津玄師さんが声を出すと、そこには
自分で構成する映像によって曲詩の不思議さ、
本人のミステリアスさ
さらに映像という唄に並行した謎めいた世界が合わさります。


そんなMVは、これまでに人々が見たことがない
内容に仕上がっているものになっていきます。
例えば2018年上半期ビルボードのダントツ1位となった


「LEMON」は、


通常のMVにはないストーリー展開が
いくつも見られます。




曲のリズム打ちのように「ウエ」と合いの手が入ったり
米津玄師さん万歳されながらその前で唄う。
しかも場所は「FUNERAL」
さらには、なぜかハイヒールを履くなど、その理由は、
本人ではないとわからない表現がちりばめられています。
米津玄師さんは、このMVを製作中に、
本当に亡くなられた身内がいらっしゃいました。
そしてその人と自分を繋いできた証のようなものが、
こういった不思議な映像となって完成したのです。


そういったところがこれまでのMVにはない、
違う切り口での新しい作り方なのではないでしょうか。





米津玄師さんが菅田将暉さんとでなくてはできないと思ったこと




灰色と青の動画はこちら


突然のインスピレーションに刈り立たれ、
どうしても菅田将暉さんじゃなければ、
曲を作れないとまで思ったという、米津玄師さん
二人は、27才25才という年齢的にも近い関係ですが、
米津玄師さん菅田将暉さんの中に見えたものは、
自分とは全く違う
陽の当たる世界にいるはずの菅田将暉さん
小さな小さな自分に近い感情でした。


灰色は、一見菅田将暉さん
明るいタイプで、米津玄師さんとは全く違う本人が、
その曲の中の人物になりきっているかのようにも見えます。
ですが、灰色もどちらもが、米津玄師であり、
一人が灰色な気持ちを打ち出している時に、
菅田将暉さんという人物によってを表現がしていることと
言えるかもしれません。


灰色と青(+菅田将暉)の歌詞



袖丈が覚束無い夏の終わり
明け方の電車に揺られて思い出した
懐かしいあの風景
たくさんの遠回りを繰り返して
同じような町並みがただ通り過ぎた
窓に僕が写ってる


君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿馬鹿しい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい


どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う


忙しなく街を走るタクシーに
ぼんやりと背負われたままくしゃみをした
窓の外を眺める
心から震えたあの瞬間に
もう一度出会えたらいいと強く思う
忘れることはないんだ


君は今もあの頃みたいに居るのだろうか
靴を片方茂みに落として探し回った
「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と
無邪気に笑えた 日々を憶えている


どれだけ無様に傷つこうとも
終わらない毎日に花束を
くだらない面影を追いかけて
今も歌う今も歌う今も歌う


朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何故か訳もないのに胸が痛くて
滲む顔 霞む色


今更悲しいと叫ぶには
あまりに全てが遅すぎたかな
もう一度初めから歩けるなら
すれ違うように君に会いたい


どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う


朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何もないと笑える朝日がきて
始まりは青い色


+灰色と青とは


「今も今も~」と先に、米津玄師さん
続くように菅田将暉さん
そして最後のフレーズにとやってきます。

灰色のような世界。

自分が求めていたものが売れるという成功なのか、そうじゃない。
そんな晴れない気持ちには、
その無意味さを示しているのではないか、
その自分の中に消化しきれない何かを、
自分と同じように見ている姿勢を菅田将暉さんに感じました。
菅田将暉さんは、作品の中での米津玄師さんが感じる
日常のの役割を
それを時に表面化して視覚に訴えもしています。
ここには、まだ若い彼らなりの苦悩や挫折を乗り越えて、
自分のゆく道を歩いて行くしかないのだ
という最終的にたどり着く覚悟
のようなものが
見受けられます。


二人とも、心の中のある部分に、
もはや国民的スターとなったこの時点で、
もう逃げだすこともやめることもできない ことを
悟っています。


ですがその中にも気を抜けない自分の道を
自分達なりに引き締め歩んでいく。

そんな終わり方になっています。


普段は明るく振舞っていても
自分が引きこもりなのだと宣言したとしても、
それで自分の心の奥の気持ちが
どうにかなるわけでもないということです。


どんな生活をしていてもこの世代の若者が
必ず持っているであろうこうした先の見えない迷いや、
決められない覚悟
のようなものが
見事に合致した作品です。





20018年米津玄師さんのライブに菅田将暉さんがサプライズ出演




この灰色を通じて、
同じ世代の二人は特別な関係へと発展しました。
そして、米津玄師さん菅田将暉さん
パーソナリティを務める
「オールナイトニッポン」にゲスト出演をしています。


その時にもこの曲についての会話がありました。
米津玄師さんは、
始めから菅田将暉さんしかこの曲にはいないと直感し、
たった一回のオファーでOKをもらうために
相当な緊張で臨んだようです。




というのも納得です。
なぜなら誰もが認める日本で一番忙しい25才菅田将暉さん
いきなりのオファーでOKになったとしても
MVを作る時間を作ることができるかさえ怪しい。
そんな不利な状況にあることを承知で、
1回目に、米津玄師さんがじきじきにオファーに行き、
すでにその時には曲詩が
1番目までできていたということです。


そして2回目の対面では、
もうMV製作となったと言われています。
そのMV製作も時間が
かなり押してしまったとのことですが、
それをこころよく付き合ってくれたという点でも
二人に繋がりが見えます。





これまで「ニコニコ動画」
自分という存在を表現しながら人に
自分を届けることをしていた米津玄師さんが、
その場を少し違うYouTubeに拠点を変えて
自らも唄うことを始めました。


すると見事にその才能が認められ
バンドなどのアーティストとは別のカテゴリの中で
その才能を存分に発揮するようになると、
瞬く間に大ヒットを連発する天才的なアーティストとして
脚光を浴びるようになりました。


それでいても、まだどうしても人前に出ることに
ためらいのあった米津玄師さん
そんな彼がやっと人前にでて
自分を表現することに踏み切ったのが2017年
テレビという媒体ではなくワンマンライブという
自分だけのスペース
での自分だけの表現を新たに始めたのでした。


そんなライブが今年2018年にも
普通のアーティストに比べると
圧倒的にその本数は少ないものの、
米津玄師さんが表に立つという大きな意味で行われています。


そしてあの灰色で共演を果たした
菅田将暉さん2018年1月10日日本武道館でのライブ
サプライズとして登場して多くの歓声を二人で浴びたのです。






米津玄師&菅田将暉の関係&「灰色と青」の歌詞!ライブにも出演?最後に




音楽とは一体何なのでしょう。
そんな質問があれば、そこには今は、曲を楽しむことに
少しの映像が加えられつつある変動期といえるかもしれません。
近い未来には
パソコン一つあれば簡単に自分の世界を
誰もができる時代がもうそこまでやってきています。
そんな時代の先駆者として、
誰よりも早くはじめたのが、米津玄師さんなのではないでしょうか。


彼にとっての音楽は、もはや聴くだけの存在でも、
メディアに常に出続けている
アーティストの形でもありません。


作り出したい世界に、
もし誰かを必要とすれならば、
その人に会い
そして交流を深め
互いを知りつつ一つの作品を作るなど、
その曲が求めているものが、
必要なのだということを
素直に行動しているアーティストです。


まだ若い彼の感性がこれから先、
自分達が思いもよらない新しい形の「何か」を
作り出してくれる作品が
今後の音楽の在り方を示しているようです。


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